halukaブログ

やっぱり海が好き!

女を見抜けなくても、男を見抜けなくても、幸せになれる。

こんにちは、halukaです。

 

「男にとって、最も重要な仕事は、女を見抜くことだ」は、

フランスの作家・ラクルテルの言葉だと言います。

 

職場に限らず、井戸端会議で、

あるいは、

バーのカウンター辺りで、

「女って、分からないよな」

というようなセリフを男性がつぶやくと、

「男だって、分からないわよ」

と女性が言い返すというような、

まるで映画のような場面に身に覚えはありませんか。

 

最近は、ラクルテルのような物言いをしますと

セクシャル・ハラスメントになりますし、

また、halukaは、「LGBT」の理解者でいるつもりですので、

以下は、

「例え話」だと思って、お読みいただきたい次第です。

 

もちろん、女性にいたしましても、男性にいたしましても、

もっとほかの性にいたしましても、

そもそも「人間」とは、「分からないもの」ではあるのでしょう。

 

それを前提にしますと、

人生のいろいろな場面、局面、状況下において、

「女って、分からない」とか、

「男って、分からない」とか、

そう言いたくなる場面は、しばしばあるものです。

 

恋愛であっても、仕事の関係であっても、

家族であっても、恋人同士であっても、です。

 

ですから、

ラクルテルの言葉も、意味は分からないでもありませんが、

ラクルテルのような心境に至る道、つまり、

「お互い分からない者同士なのだ」という

“正解” を得る道は、

とても険しくて、長いものなのではないのでしょうか。

 

「正解」だと信じていたことが、

まったくの見当外れに終わることも、

人生では、決して少なくはないはずです。

 

方や、イギリスの作家、オスカー・ワイルドは、

「正しい結婚の基礎は、″相互の理解″ だ」と言っています。

 

「相互の理解」が「相互の誤解から始まる」という、

いささか、ややこしい展開になってまいりましたが、

世の中の ″見えざる 均衡(きんこう)″ は、

男女、あるいは、もっとほかの性同士による、

″偉大なる誤解″ によって、保たれているのではないのでしょうか。

“理解ある誤解” と言い換えてみたくなるほどのややこしさです。

 

ただ、そんなふうに考えますと、

冒頭の映画のようなワンシーンですが、

困り果てた表情のその男性は、

必ずしも、「女性」を見抜けなくても、

仕事もそれなりにうまくいきますし、

幸せにもなれることになるでしょう。

 

あまり無理をして、人を理解しようとしないのも、

また、人としての理解の仕方なのかもしれません。 

ラクルテル(1888~1985没)。